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koke*cocco

Author:koke*cocco
coccoは発達障害です。
ズボラな母kokecoccoが、
これまでのこと~いまのこと~これからのことなどを綴っています。
どうぞごゆるりと・・・。


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今日もお越し下さってありがとうございます。

coccoは小学4年生から、発達障害児のための塾に通っています。
もうそろそろ8年目。。。

学校以外でも「先生」とつく方々に出会えることはいいことです。
中学・高校と学校でしぼられることが多いcoccoですので、こういう場でまた違った先生に褒めてもらうことは心の安らぎになるのかもしれません。

その塾で、先日、女の子を持つお母さん方数人が集まって話をする機会がありました。

女の子ならではの悩みや課題があって、それを皆さんで共有できたことは本当に良かったと思います。

そこでトイレの話がでました。

以前のことなのですっかり忘れていましたが、coccoは小さい頃、トイレが怖かった!

今のように学校のトイレが洋式になっていない頃だったので、学校で和式トイレで用をたすのがひと苦労。怖い。
和式トイレをまたいで、自分の足元をものすごい勢いで水がドドーっと流れていくのが怖くて仕方なかったようで・・・

外出先でも、当時は和式と洋式が半々くらいだったので(今じゃほとんど洋式ですが)、洋式トイレが空くまでガマンして待っていたものです。

それが終わって、またひとつ怖いハードルが・・・

手を洗った後のドライアーって言うんですか、あれ。ゴーーーっと音がして風で水を飛ばすあれ。
あの音がイヤでイヤで・・・

手を差し出すどころか、逃げ回ってましたよ。。。
まだすごく小さい頃は、「キレイにしなくちゃダメよ!」なんて無理に手を出させたこともありましたが、今思えば、酷なことをしてしまった・・・。
あの時、首を横に傾けて耳を塞ぐような格好してたものなあ。。。

今はゴーゴー音がなるドライヤーでも手を乾かせるようになりましたが。それっていつからだろう。。。
知らないうちに「あ!、これ大丈夫になってる。」っていうのも増えてきた気がします。

大きくなってくると、苦手なものも苦痛が軽減されたり、それなりに自分で回避の方法や代替え方法を見つけていくのかもしれません。

日常の中の小さいことでも、フツーの人だったら何でもないことなのに、発達障害の人たちはこんな風に苦労しながら生きているんだなあ。。。苦労が少なくなって心が軽くなりますように。。。

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今日もお越し下さってありがとうございます。

coccoの今までのことを振り返ったり、現在進行中のことを書いたり、その日その日で気ままに書いておりますので、せっかく遊びに来て下さった方々には、読みづらくて迷惑かけちゃっているだろうな…と思っていました。

記事のカテゴリーを細かくしてみましたので、よろしかったら「カテゴリー」もご利用頂けると嬉しいです


今日は、「悪夢の宣告の日」のことを書きます。

なんかおかしい・・・なんかヘン・・・と、思い続けて、その間に幼稚園の担任S先生とも相談し、児童相談所や小児精神科がある病院へ行ったりしました。

最初に行った病院。忘れもしません。

車にcoccoを乗せて、1時間半かけて行きました。

確か30分程度の口頭での話の後に、なんの検査をすることもなく、いきなり・・・・

知恵遅れですね。3才くらいの程度です。(←当時、4歳半くらいだったか・・・)」

ガーンガーンガーン・・・・

ち、ち、ちえおくれ、って・・・。当時、その言葉が妙にドックンドックンと脈打って、頭の中に鳴り響いたのを覚えています。

しかし、「知恵遅れ」って・・・
なんか今じゃ、聞き慣れない言葉です。こんな言葉、今は使ってないんじゃないかな。。。ひどくドドーンと重くのしかかる言葉です。


元夫は、当時coccoのヘンなところをあまり感じなかったようですし、また「へん」だということを受け入れたくなかったのかもしれません。

「オレはそう思わない。」の一点張りだったので、病院へも私一人で連れて行きました。

その日の帰り道は、一体どこをどうやって帰ってきたのか…覚えていません。

知恵遅れ・知恵遅れ・知恵遅れ・・・・・・

頭の中で、ずっとずっとその言葉だけが廻っていました。

泣きました。焦りました。動揺しました。息苦しくなりました。吐きそうになりました。
そういう時って、嗚咽ではないんですよね。ただただ、絶え間なくポロポロと涙がこぼれるだけでした。

車の運転苦手なのに 道もあまりよく分からない遠い病院だったのに 、よくもまあ、あの精神状態で車の運転をしたものだ、と今思えば怖いくらいです。


その後、何の検査もしないで「知恵遅れ」と診断した先生のことを信頼できず、他の先生に診てもらいたい!などどボヤいたのですが、それは私のアガキでしかなかったのかもしれません。

その後、児相や大学の研究室、民間の検査機関、療育機関など、ありとあらゆるところへ行きました。

どこへいっても診断名が違っていました・・・
当時の私は、「coccoは一体なんなんだ 何を信じればいいんだ 」 と、気が狂いそうになりました。

今思うと、どれもこれも自閉症スペクトラムの一連の繋がりの中に位置付けられている診断名だったなあ、と思います。

「特定不能の広汎性発達障害」「高機能自閉症」「アスペルガー」などなど・・・色々な診断名にころころと変わり、診断名取得難民になっていました。
結局のところ、カナータイプではない大きな枠の自閉症の中のどこか、そのあたりに属しているのだ、ということで今は落ち着いています。
きっちりした診断名を受けるというよりも、こういうところに属している、という現実を受け止めれば良いかな、と思っています。

発達障害は、個々の特性・特徴が多岐にわたっているので、診断名を限定するのは難しいのかな。年齢によっても言動が変化してくるし・・・。

何か書類を書いたり証明を受けたりする時は、診断名が必要になってきますので、その時だけ「広汎性発達障害」ってことで書いています。


あ・・・話がズレましたが・・・・

「目の前真っ暗」「頭をトンカチで殴られたような」って、あの日のようなことを言うのかなあ。。。
私の人生が、それまで思いもしなかった方向へ転換していく最初の日だったのかもしれません。

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お越し下さってありがとうございます。

先日、家族崩壊の渦の中にはまりかけている時のことをチラッと書きました。

振り返ってみれば、coccoが年少さんくらいから小学3年生くらいまでが一番辛かった

すみません・・・只今、お子様がその渦中にいらっしゃる方々、その子によっても違いますし、その期間の子育てをもっと楽~に過ごされる方もいらっしゃいますので、どうぞ↑の発言はお気になさらず・・・

coccoの場合、幼稚園時代は最初に担任になった先生が新卒だったこともあり、スタート時点でつまづいたのも運が悪かったようです

時間になっても、ずっと園庭にいて鳥を見ていたり、砂をいじっていて部屋に入らない・・・。
運動会の練習なんか最悪で、気まぐれでやる気がなくなると、ベンチに寝ころんでいたようでした。
学芸会の発表会では、自分の出番でもないのに舞台の上でカーテンの陰からチラチラと顔をのぞかせて、思いっきり親に恥ずかしい思いをさせてくれました。

これもまあ、10年以上も前の話。
当時は、一般的にあまり発達障害について理解されていませんでした。

幼稚園の先生だって、暗中模索状態、どうしていいのか分からずアタフタ・・・。
きっと気をもまれたことも多かったと思います。

そんな時に出会った年中さんの時の担任の先生。
振り返ってみれば、この時の先生との出逢いは、その後延々と続く現在までの「人との出逢いの有難さ」の最初の一歩だったのかと思います。

年中の時の担任、S先生とします。

S先生、coccoのために幼稚園側に色々と交渉して下さったり、相談機関を探して下さったり、coccoと同じクラスの幼稚園児たちとの隔たりが出ないように上手に声かけをして下さったりしました。

お陰で、coccoには担任のS先生の他にもうひとり先生が1人付いて下さることになり(加配というやつです。)、余計なことで先生もcoccoも親も気持ちが乱されることがなくなりました。

後に、S先生から聞いたのですが、S先生の息子さんもLDだったということ・・・。
それできっと、親の思いにも共感して下さったことが多々あったのだと思います。

S先生は、その後、coccoが卒園する年に一緒に、長年勤めていたその幼稚園をお辞めになりました。

S先生は何もおっしゃいませんが、きっとその幼稚園では初めてであっただろう広汎性発達障害の子ども・coccoにとって良かれと思う様々な対策を幼稚園側に推して下さったのだと思います。
それが、幼稚園側ともめてしまう引き金になってしまったのかもしれません。

そんなことを恩着せがましく言うこともなく、卒園後も私たち親子を見守って下さいました。

人とのつながりで、何かがどうにでも変わってしまうことがあります。
coccoが生まれてから16年。それを一番痛感しています。

「人の世の 幸不幸は 人と人とが 逢うことからはじまる よき出逢いを」 みつを
(相田みつをさんより)

「家族の分かれ目」(↓)の続きになりますが・・・

うちは家族が壊れちゃった部類に入ります、と(↓)で申し上げました。

cocco が3才になる頃から家族の和が狂いだし、1年生になることには母子家庭になりました。

いや~、今思えば、その頃の5~6年間は、底辺を這いずりまわるような日々・・・。
どうもがいても、なかなか上に上がってこられない状態でした。

私の精神状態が不安定でしたから、coccoにも伝わっていたのでしょう。
coccoも苦しい時を過ごしていたと思います。

母子家庭というのは、経済的にも大変です

自分が倒れたら、親子共々終わっちゃう・・・という緊張感の中、毎日働いていました。
当時、私は保育士をしていたので、体力的にも時間のやりくりも大変な中、なんとか踏ん張っていました。
でも、仕事内容の割には保育士というのは、まだまだ賃金の改善が見直されなくちゃいけないような、言ってみれば安月給のお仕事でした。

それでも、自分が働けるのに、ちょっとゴマカして生活保護を受けちゃえ!みたいな気持ちにだけはなれなかったので、そのあたりのヘンなプライドだけは捨てずに、毎日毎日をなんとか乗り越える…ような生活でした。

もちろん、cocco の父親は養育費なんかくれません。「ない袖はふれないよ~ん。」なんて、とんでもないことを発言していました。

ちなみに、cocco の父は、当時から(今も…だと思う。)障害のことを受け入れていませんでした。

義父母からは「うちの家系には、こういう子はいない!」とか「親の悪いところばっかりとって生まれてきた」とか、ひどいことを散々言われたっけ・・・。
しかも、義父母ともに教育者。義父は当時、養護学校の校長だった
義母もバリバリ勤続ウン十年の中学の先生。

先生なのに、こんな暴言を孫に吐くなんて~~

う~~~、暗くなってきた。。。。しかも長くなりそうなので、今日はこのへんで。



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